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Facebookは “友だち” しか見られないので、ⓢの原三信入院前後の記録をこのサイトへも転載。

PDF版とAcrobatの『生成要約』はこちら

母親の介護と医療の経過を詳細に記録したもので、特に施設の移転や健康状態の変化に焦点を当てています。

●介護施設の移転と医療経過

  • 2023年秋、母親の介助が増え、施設Aから経費削減のために施設Bへ移転を決定。
  • 2024年4月、施設Bに転居後、定額プランでのサービスが利用可能になったが、7月に新型コロナウイルスに感染。
  • 8月、リハビリが進み、親族旅行にも参加。
  • 9月、腎盂腎炎で入院し、3回の手術を受ける。
  • 10月、別の神経変性疾患が発覚し、嚥下の問題が深刻化。食事介助を行い、リハビリを開始。
  • 11月、82歳の誕生日を病室で迎え、食事摂取量が少なく、退院が危ぶまれる状況に。 ​
  • 12月、退院日が決定し、再度施設探しを開始。指定難病受給者証を活用し、ホスピスも検討。

●退院と新たな生活

  • 2025年1月、退院後、施設Cに入居。介護保険サービスの契約変更が続く中、母親の食欲が回復し、点滴が外れる。
  • 2月、デイサービスを利用開始し、母親が新しい環境に慣れる。
  • 3月から4月にかけて、外来診療を再開し、乳腺科の検査もクリア。嚥下専門の訪問歯科医による治療で食事形態が改善。
  • 母親はリハビリを続け、筋力が向上し、自立した動作が可能に。発話も増え、感情表現が豊かになる。

●感謝の気持ち

  • STさんから「娘さんの粘り勝ち」と言われ、感謝の気持ちを強く抱く。母親の回復に寄与した医療チームへの感謝も表明。
PDF版
nyja.moero725.com

長かった…
そしてようやく一段落。
の、記録。(ママの個人情報だだ漏れ😉)(長文😏)

なんかもう、ずっと施設探しして、ずっと契約手続きして、何度も荷造りと荷解きして、よりによって立て続けに仕事が舞い込み〜片っ端からやっつけて、ママの環境が変わる度にママが慣れるようにとアレコレ奔走した…日々だった。

18kg小さくなったけど、入院してた病院の看護師さんからも・今の施設の看護師さんからも「こんなにパーキンソンのお薬が効いている患者さんを見たことがありません✨」と言っていただけるほど、今では手引きでサクサク数十メートル歩けるママ。リハビリも頑張ってるし、食欲も旺盛。そしていつも何度も「ありがとう」と言ってくれる。そんなママの一年半のログ。

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●2023年秋

施設A(サービス付き高齢者向け住宅)で暮らしていたママの介助が増えてきた。歩行器がうまく使えなくなってきたのもこの頃。

施設Aでは介護保険サービスの定額分と、施設サービスを利用するオプション分が請求される仕様だった。施設Aのオプションは時間単価があり、お願いした介助分だけ加算される。

自分でできないことが増える→ナースコールで介護士を呼ぶ→請求額が増える…

●2023年12月

経費削減&私がもう少し通いやすい(近い)施設探しを始め、いくつか見学・相談へ行って施設B(住宅型有料老人ホーム)に決定。

●2024年4月

暖かくなってから転居。施設Bの施設サービスはプラン制で定額なので、月々の請求額が増えていく心配はなくなった。のだが…

●2024年7月

ワクチン接種7回、流行り出してからこの時期までなんとか回避してきた新型コロナに、施設内クラスターでとうとうママが罹患してしまった。

廃用が顕著で、これまでは車椅子で通院していた外来診療も訪問診療に切り替えた。

◎2024年8月

リハビリや投薬治療でママの心身が落ち着いてきたので、【親族恒例夏旅行】に参加。【彼女とのデート】も決行。

このまま少しずつ以前のママに戻っていけたら…の願いも虚しく…

●2024年9月

ママが腎盂腎炎で救急搬送。9月4日、義弟との大事な約束がある日だった。この日は救急車に2回同乗した。即入院。(夜遅くなってしまったけど、義弟が迎えに来てくれて約束を守ることができた)

翌9月5日に手術、その後も2回、ママは計3回の手術をした。術後は点滴と痰吸引が必須の日々。

私は施設へ週3日通っていたけれど、入院中は病院へ日参することになった。

●2024年10月

泌尿器科の手術入院だったけれど、別の病気(神経変性疾患)を発症していることが判明。担当だったSTさんがママの嚥下の状態から気づいてくださり、すぐに脳内のドクターへ報告→検査→私への説明があった。

ママの脳梗塞(2017年)の後遺症だと思い込んでいた症状も、実はこっち(レビー小体型認知症)が発症していて、それが施設Aにいた頃から少しずつ進行していたのかも…と思うといろいろ合点がいく。(正確な発症時期はわからないけれど)

食事が入らずみるみる痩せ細っていくママ。病院側から面会時間のフライング許可がおりて私が昼食から食事介助に入ることになった。STさんと栄養士さんとほぼ毎日話し合って翌日の食事形態や内容を調整した。

筋力低下や筋肉.関節の硬直も心配だったので、早々に運動のリハビリも開始してもらった。採尿バッグを左右にぶら下げ、点滴も繋がったままでPTさんに支えられながらの平行棒歩行訓練で、私も毎日つきあった。

●2024年11月

楽しみにしていたイベント(元職場=保育園の50周年式典)にも出席できず、病室で82歳のお誕生日を迎えたママ。

泌尿器科病棟から回復期病棟へ転棟し、主治医も泌尿器科から脳神経内科のドクターに代わった。「ちゃんと食べんと退院させんよー」という主治医の声かけも虚しく、食事の摂取量は1割いくかいかないか…。

一進一退(というか停滞)。それでも〈この病院でよかった〉〈病気を見つけてもらえてよかった〉とママの強運を信じた。

主治医・療法士・病棟スタッフさんたちの縦横の連携は素晴らしく、家族の私もチームに入れてくださって、みんなでママの回復に向けて協力しあうことができた。

主治医のF先生は診療時間が終わってから毎日のように病室へ来てくださった。F先生曰く「パーキンソン症状の投薬治療はトライ&エラー」とのこと。ママに合う薬を見つけ出すために『試す→経過を見る→調整(変更)する』を丁寧に繰り返し、都度、私にも薬の変更やどんな薬なのかの説明をしてくださった。そしてF先生からのご提案・ご協力もあって、指定難病の申請。

●2024年12月

ママは相変わらず食が細い。点滴のルートをとれる場所がどんどんなくなる。F先生からも経管栄養の話が出て、〈いよいよパパが迎えに来たか…!?〉と心がザワザワする日が続いた。

〈遠方に住む妹に来月のシフトを休ませておいたほうがいいかも?〉〈伯母や従兄弟に連絡すべき?〉〈ママがわかるうちに会わせておいたほうが人は…?〉いろいろ考えると夜も眠れなかった。

回復期病棟に入院できるのは60日間で、退院日が年明け1月6日に決定した。ママの点滴は続いているし、痰吸引も予断を許さない状態。主治医からもMSWさんからも「夜間も休日も看護師さんがいる施設じゃないと…」と助言され、施設B(看護師さんはいるけど平日日中のみの勤務)に戻れないことになり、またもや施設探しを開始した。前々回・前回の施設探しと異なるのは「“高齢者施設”に限らない」という点。『指定難病受給者証』という切り札を活かせる“ホスピス”も含めていくつかの施設へ問い合わせたり見学に行ったりした。そして施設Cとの運命的な巡り合いがあり、見学.相談〜面談〜契約〜退院前合同カンファ…着々と準備を進めた。施設BからCへの引越しも済ませた。

(私は仕事も立て込んでいて、どうやって生き長らえていたのか思い出せないくらい)

●2025年1月

1月6日、F先生・回復期病棟のスタッフさんたち・泌尿器科病棟のスタッフさんたちにお礼の挨拶まわりをして退院→その足で施設Cへ入居。

4ヶ月前とはママの状態も違うし施設所在地の区も変わったので、継続できない介護保険サービスや訪問診療・訪問看護など、事業者検討・契約変更・新規契約の手続きが続いた。

病院から施設へ訪問先が変わっただけで、私の連勤(無休)も続いた。(本当にクタクタだった)

しかーし!イイコトもあった。ママの食事量が退院3日前(1月3日)から3割を超えて、4ヶ月続いた点滴がやっと外れた。そして退院後も食欲が落ちなかった。

●2025年2月

施設Cにもママが慣れてきた。せん妄(仔犬が見えたりしていた)も激減した。私の休日(ノーアテンドデー)を捻出すべく、デイサービス探しを開始→土日祝も受け入れOKのデイサービスが見つかって即見学〜即契約〜即利用開始。機能訓練に力を入れているデイサービスで、ママもすぐに馴染んでくれた。

●2025年3月〜4月

コロナ罹患以降受診できていなかった外来診療に連れ出せるくらいママの体力も回復してきたので、まずは乳腺科(乳がん)をクリア。経過良好で問題ナシ。

嚥下専門の訪問歯科医に診ていただきながら、食事形態のアップにも成功。普通米飯・一口大のおかずが食べられるようになった。(外食だって夢じゃない✨)

施設CのOTさんのリハビリ(週1回)も、デイサービスでのリハビリも、キッチリこなしている頑張り屋さんのママ。筋力もついてきたようで移乗時もふらつかないし、身軽になった分スッと立ち上がることだってできる。全介助だった臥床↔︎離床もベッドガードに掴まって自分で寝起きできるようになるなんて…💕(パーキンソンの薬、恐るべし)

発話も増えた。「いってきます」や、歩行訓練中に自ら「イチ.ニッ.サン.シ」とかけ声を出すようになった。オヤツを見せると「食べる!食べるぅ〜🤗!」とお茶目な表現をするようにもなった。私が施設に現れれば「嬉しい!」と喜び、私が帰る時間になってもグズらず「今日もいっぱいありがとー」と言ってくれる。可愛すぎる😘

●2025年5月

予約してはキャンセル…を繰り返していた眼科も、前院に紹介状を出していただき、今の施設に近い眼科にようやく受診できた。ママは左眼を失明しているので、右眼の加齢黄斑変性が進んでいないかヒヤヒヤの1年だったけれど、5月12日の検査で(ほんの少〜し悪くなってはいたものの)「硝子体注射はまだしなくても大丈夫」という診断で一安心。最終ミッション、クリア❣️

 

というわけで、必須任務コンプリート!

おつかれ、ママ❗️ おつかれ、私‼️

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退院後にも指定難病手続きの関係で病院へ行く機会があり、ママの(ADL爆上がりの)近況報告をしたくて入院中にお世話になったSTさんを訪ねたことがあった。そのとき、

「『娘さんの粘り勝ち』ですよ」

とSTさんに言ってもらえてメッチャ嬉しかった✨

言われて嬉しかった言葉グランプリ、堂々1位。2025年の年間大賞どころか、生涯でも最上位かも。

彼がママの嚥下を怪しいと気づいてくれたから、そして脳内のドクターに相談してくれたから、今のママがある。

私からの報告や相談にも親身に耳を傾けてくださったこのSTさんと、ママにピッタリの薬を根気よく見つけてくださったF先生には、一生足を向けて寝られません! 心から感謝✨✨

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そしてそして… 今夜は【彼女とデート】の約束💕 ひゃっほぅ‼️